2012年11月01日

まえがき


もうすぐ40になる。驚いた。

成人した頃の倍の時間、生きてきた。

平均的な寿命の半分に達した。

「不惑」の心境には程遠く、「厄年」に身を固くする……。

新しい世紀に、託すものも定まらない。

重要さを痛感しながら、今もって、確かな夢や目標を描けないでいる。

片岡鶴太郎は40才を前にして、自分をとことん見つめたという。その後、彼はストイックに向き合い、今では画伯と言われたりしている。

太宰治39。芥川龍之介36。それぞれの年齢で、人生の終末に自ら関与した理由には、創作や将来への、恐れや失望があったのだろうか。

ジョン・レノンは40で凶弾に倒れた。

「天命」とは何か、重たいテーマの答えは簡単には見つからない。もし彼が生き続けていたら。その余生は? そして世界に与えたものは?

正直に告白しよう。

自分も一遍、リセットしてみたいのだ。

その助けとして、一遍、多くを吐き出してみることを思いついたのである。

吐き出すことによって、一遍、「死んでみよう」と。

私は決して筆まめではなく、むしろその対極にあると思う。

それでも、密かに増えていったさまざまなメモランダムには、その時々の心情や、書き上げるまでのささやかな苦悩がしみ込んでいる。

タイトルの「FEELIN' GOOD」とは、便秘に良いとされるサプリメントの商品名に由来する。

「ものを書く」という行為は、私にとっては、まさにそのような「格闘」をともなうのである。

こうして脈絡もなく並べてみると、案の定一人よがりで、己れの精神構造がそのまま露呈していて、誠に気恥ずかしい。

しかし、人生と同じで、もう戻れない。

この本をまとめることによって、無為な時間つぶしをおおらかに許してくれた妻、愛猫デーデ、父、母、その他これまでに縁のあったすべての人たちに対するお礼の言葉に代えたいと思う。

そして、新しく生まれ変わるのだ。

2002年9月
原田 浩光
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2012年11月03日

スイカ


何とも暑い日が続きました。

この夏、スイカは猛暑で需要が増え、甘みもバツグンだそうな。先日、長野の山荘で「世界一旨いから」と勧められ頬張ると、これが皮のへんの白い所まで風味たっぷりの逸品。

近年の品種改良は目覚ましく、甘くて種のないピッカピカの果実は、どこか人工的で「大地の恵み」という風にはいかない。一方、キズがあるからとはねられ、採れ過ぎたからと棄てられローラー敷きになる不条理がテレビに映し出されたりする。

さて今年のスイカ、近所のスーパーで6分の1にカットされ、なんと980円。去年の3倍。それでも飛ぶように売れているという。まさに売りも売ったり、買いも買ったりの飽食ニッポン。

一度肥えた味覚は元に戻ろうとしないもの。ああタイ米が泣いている。コメ不足、水不足と続いた異常事態、つぎに来るのは空気不足、酸素不足、なんて何だか笑えない冗談。

ところで私は、子供の頃からスイカが決して好きではなかったようだ。その理由について深く考えたこともなかったのだが、思うに、図体の割に中身の伴わない、「所詮、ほとんど水なんだろ」っていう発想に起因しているような気がする。自分にとって物事の価値基準は、割とこんなスイカに対する評価に表れているのかもしれない。

私のキライな某女性タレントは、大のスイカ好きだそうだ。そう言われれば、芸もろくに磨かず、人のうわさやせんさくを並べて大物を気どる厚顔ぶりは、なるほど実のないスイカみたいなものだと。
(1994年8月)
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2012年11月04日

ボス、生還


我が家の愛猫ボスの失踪について書かずにはいられない。

師走も過ぎたある晩、いつものようにねだるのでベランダから外へ。冷たい風の吹く日で、これはいつもの「見回り15分コース」と思っていたら……一向に戻ってこない。

結局、明くる日もその翌日も音沙汰なし。私はといえば、何をしても手につかないとはこのことで、朝にはカップに入ったミルク、その夕食には熱々の味噌汁をぶちまけてしまうありさまだ。落ち着かず近所を探しに歩けども手掛かりすらなく、車に轢かれた様子がないのがせめてもの救い。

……私の頭をよぎるものがあった。二つ。

彼が失踪した同じ週の週末、私と家内、二人の両親らで一泊旅行のため家を空けることになっていたのである。今までは誰かに頼んでいた留守番(エサやり)も今回は予定になかった。

一つには、留守でとり残されることを(第六感で)察知して、トラブルを起こしたんじゃないかと。自分のことを心配して旅行をとり止めた頃、シラっとした顔をして戻ってくるような。確かにそんな所のある猫なのだ。

二つ目には、旅行は私の運転する車で行く予定だったのだが、何か事故にでも遭うことをやはり知っていて旅行をさせないつもりだったのかと。それともそれはひどい大事故で、彼は私たちを守るために自分の魂を引き換えにしたのかも……。

ほどなく一つ目の淡い期待ははずれ、当然旅行も中止に。朝夕の冷え込みは日に日に強まり、とうとうしんみりしたまま年が明けた。

失踪から1カ月が過ぎると、もはや10歳の老猫が野良猫暮らしとも考えにくい。いよいよ二番目の心配が的中してしまったのか。もしかして、どこかのお宅に連れられ、あるいは保護され、コタツにでも入ってぬくぬく過ごしていてくれたら……それはそれで彼の辿る一生なのかもしれない、ならばやがて会える望みだってある……。

ところがどっこい、寒空の下で生きていたのである。家から2ブロック先の塀の上で。実に43日ぶりの生還、残飯すら漁れなかったのか、ガリガリに痩せ瀕死の状態だった。

家内が自分で見つけてきた。家内も私も運命的なものを強く感じた。先に逝った兄貴猫の墓参りへ出向き「力を貸して……」と頼んでから3日目のことだった。
(1995年2月)
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2012年11月05日

歯医者って恥ずかしい


歯グキに腫れを感じて歯医者をたずねた。

以前から歯石が溜まると定期的に医者通いしているのだが、未だ「ココ」という歯科に巡り合っていない。どこも似たり寄ったり、要するに1度で終わらない、いや終わらせないのだ。患者は私一人しかいないのに、10分ほど処置して「ハイ、今日はざっと取っておきました、続きはまた来週」と。オイオイ、こちとら「ざっと」なんて頼んでないぞ。テッテーテキにやってくれっての。お金の問題だけじゃない、通う手間、時間をどうしてくれる。

結局今回も一日で済まないどころか、虫歯まで見つけられてしまった。

それにしても、歯の治療ほど恥ずかしくてブザマなものはない。美容院のシャンプーで仰向けにされるのだってこそばゆい気がするのに。ライトを煌々と照らされ、大きく開いた口をさらにこじ開けられ覗き込まれる。そこにはシャンプーの時のあの「目隠し」のタオルさえ無い。

大体「口の中」なんて不衛生だし、私などは人一倍、他人様に見られたくない「恥部」だと思っている。(帰ってから家内に、「まだ自分のポコ○ンを見せる方がマシだ」と言ったら呆れられてしまったが)。唾液を吸い出すバキュームの息苦しさ、鼻の穴まで拡がってくる。痛さに歪む顔、目は半開き。こんな辱め、もう二度と受けるまい……。

「拷問」の時間が過ぎて。「ハイ、悪いところ3本、削っておきました」。ナヌッ、3本! 聞いてないぞ、そんなの。「インフォームド・コンセント」はどうした。こぼす愚痴も虚しく当分は通院の日々。そしてやはり、少しずつ「せびられて」ゆくのか。

治療の痕、気恥ずかしさと情けなさで、奥歯が滲みる――。
(1995年5月)
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