2010年10月04日

まえがき


「千の風になって」(新井満日本語詞・作曲、2006年)が、3年掛かりでミリオンヒットになりました。

確かに、秋川某の朗々たる歌声や甘いルックスに魅了された向きもあるでしょう。

しかし、多くの人たちの共感を得た要因として、ここに歌われている世界観が、皆のココロの奥底に隠された本音や願望、死生観を揺さぶったことは間違いありません。

ともあれ、「私のお墓……」で始まる「死」をテーマとした歌が大きく扱われ、普段の生活の中では「恐い」「縁起でもない」などと忌み嫌われ遠ざけられてきた死が、堂々と白日の下にさらされたことは、ある意味喜ばしいことでもあります。

死は必ず、あるいは突然訪れます。死をタブー視せず、きちんとした備えができる社会が、たった一人の「私」の限りある「生」をより充実させ、残る人たちにも多くの利益をもたらすことは想像に難くありません。

本書は、人生の晩年に差し掛かる人が、自分を深く見つめ、生涯を「自分らしく」仕舞うためのアイデアを、13の切り口にまとめました。

第1章には、死を想うことが今ある生を輝かせることを、第2章は、既存の葬式にまつわる疑問や変化とその背景などを述べました。

第3章は、生前祭(生前葬)の可能性について、意義やその効用を論じ、終章に余話を添えました。

私は宗教家でも哲学者でもありません。自分自身の関心事としてじっくりとこれに取り組み、己の生き方も見つめ直したいと考えています。

昨今のデフレ不況は、いわゆる「終活」を考える契機の一つにもなりました。少しでも読者の気づきとなり、資することとなれば、まさる喜びはありません。

2009年7月
原田浩光
posted by hiro at 16:28| Comment(0) | 生前祭 | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

01 余命3カ月と分かっていたら


「死ぬまでにしたい10のこと*1」。題名に惹かれて、小さな映画館で観ました。

23才で幼い2人の娘を持つアン(サラ・ポーリー)は、卵巣がんで余命3カ月の宣告を受けます。

夜更けのコーヒーショップで、死ぬまでにしたいことをリストに書き出し、一つ一つ実行に移して静かにこの世を去るアン。子供らが18才になるまでの、毎年の誕生日のメッセージをカセットテープに吹き込む彼女の愛の言葉と、美しさ、切なさがとても印象に残りました。

「最高の人生の見つけ方*2」は、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン、名優の初共演が話題になりました。

病室で意気投合した二人は、「棺おけリスト」をもとに、世界各地でハチャメチャな贅の旅を繰り広げた末、最後には家族のもとへと帰っていきます。

余命を宣告されるとき、人は残された日々に思いを馳せ、やりたいことをリストにするのでしょうか。そして、家族や友人らとの「絆」を確かめ、この世に生きた「証し」を残そうとするのでしょうか。

ハイデッガー*3は、「人は、いつか死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」と言いました。

困ったことに、日常を過ごす上では、自分の死期は分かりません。

分かっているのは、遅かれ早かれ、いずれは100%そのときを迎えるということ。もともと、人は「余命80年」の宣告を受けてこの世に生まれてくるのです。

このことを強く自覚し、「薄氷をふんで生きる」(五木寛之)、「今を切に生きる」(瀬戸内寂聴)のココロで、今成すべきこと、成し遂げたいことを明らかにすることから始めたいものです。

*1 My Life Without Me イザベル・コヘット監督、2003年、カナダ・スペイン
*2 The Bucket List ロブ・ライナー監督、2007年、米国
*3 20世紀・ドイツの哲学者
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2010年10月12日

02 死生観いろいろ


「死生観」を辞書で引くと、「死あるいは生死に対する考え方。またそれに基づいた人生観」とあります。

ルネサンスの時代には、イタリアの知識人たちは「メメント・モリ」(死を想え)と刻んだ大理石の置き物を机上に飾って、朝夕眺めたとか。

死について、先哲は多くの言葉を残しています。

「死は前よりしもきたらず、かねて後ろに迫れり」(吉田兼好*1)

「自分が死を考えるのは、死ぬためではない。生きるためにこそ死を思うのだ」(アンドレ・マルロー*2)

「死が真正面から自分を襲ってきた時、人から借り物の死生観では、これを乗り越えることはできない」(岸本英夫*3)

死とは、やはり個人的な問題であり、各人が自分の生き方に照らして、思い重ねていくものなのでしょう。

このリポートでも、これ以上深く立ち入ることはしません。以下は、今の私の率直な心情を備忘用に記すものであります。

私のココロには、二つの思いが入り混じっている。

一つには、ミクロ的でウェットなもの。

いくつもの偶然や必然、奇跡が重なり、今の私がある。

そんな私の短い生を、何らかの生きた証しとして残したい。

私が死んで泣く人がいる。少なからず困る人がいる。

それが、形として残るものだけではなく、ココロの中に刻まれる何かであっても。

二つには、マクロ的でドライなもの。

地球の歴史46億年、人類誕生から20万年。

これらに比べるまでもなく、私の一生など、わずかな塵に過ぎない。

私が死んでも何も変わらない。困る人などいない。

諸行無常、一人ひっそりと死んでゆくがよい。

*1 鎌倉後期から南北朝時代の歌人・随筆家。随筆「徒然草」など
*2 20世紀・フランスの小説家・政治家
*3 20世紀・宗教学者
posted by hiro at 08:06| Comment(0) | 生前祭 | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

03 ココロの整理


「物事は、書き留めることによって、初めて実感できる」

もし何か不安なことがあったら、何が不安なのか書き出してみると良いでしょう。不安の中身が分かれば、安心できることもあるでしょう。

すっかりおなじみとなった「エンディングノート」。ココロの整理を行うには、うってつけのツールとも言えます。

「いざ書くとなると、結構覚悟がいるわね」

「自分の一生を、大切な気持ちを書き留めるものだもの。それなりにきちんとしたものに書きたいわ」

「立派過ぎると、筆が進んだもんじゃない。書くべきものもない……」

どれも一理あるでしょう。目的や内容については省きますが、効用やノートの選び方などを私なりに考えてみました。

まずは書きやすさ。例えばアンケート調査で、いきなり個人的なこと、年齢や職業、住居は持ち家かとか聞かれたら、誰だって答えたくありません。それと同様に、初めから財産や通帳の番号など書きたくないでしょう。物事には順序があります。

さてその中身ですが、やはり自分の業績を書き出せるものが良いですね。これを埋めることによって、ほどよい満足や自尊心が得られるでしょう。

私の人生も捨てたものじゃない。たくさんではないけれど、数々のことを成し遂げたではないか。そうした気概が、今後も前向きに生きる励みや動機づけになると思うのです。

さらには、今後の目標が書けるもの。自分が目指すものを知らないで、自分の手に入れたい人生が送れるはずもありません。目標がなければ、実際に成功したときに、それが成功だと知ることさえできないのですから。

静かに過去を振り返り、ゆっくりと考えに浸り、書き込みが進むにつれ、自分の生きてきた「証し」が少なからず得られることでしょう。

同時に、自分が回りの多くの人々に助けられ、さまざまな「縁」に支えられて生きてきたことに気づきます。

そうした人たちへ、きちんとしたお礼や感謝の気持ちを書き残せるページが充実していると、とてもありがたいのですが。
posted by hiro at 12:16| Comment(0) | 生前祭 | 更新情報をチェックする