2011年01月03日

まえがきに代えて


謹賀新年。新しい一年の幕開けです。

とは言え、いつもと変わらぬ一日の始まりです。今日も太陽は東から昇る。顔も洗うし、腹も減る。

退屈な毎日を無為に過ごすことのないよう、人は暦を作り、正月を作ったのでしょう。ついこの間まで、年の初めには、皆一様に一つずつ年を取っていたんでしたね。

去年私は年男。48というのは、私の趣味である「いろは歌」48文字のごとく、すべてを満たしたおめでたい数です。(AKB48なんてのも出回りましたね)

おかげでふさわしい一年を過ごすことができました。ご懇情いただいた皆様には厚くお礼申し上げます。

さて今年は49。「48+1」のココロで、また一から始めるとしますか。

あるいは「7×7」。これを、たくさんの掛け合わせと読みたい。色々な事象が次から次と巻き起こる、そんな激動の予兆を感じます。

さらには50の一つ手前。来年50になる自分を、どんな風に祝福できるかは、今年の身の処し方に掛かっています。

子供の頃に見た50才は、紛れもない「おっさん」。先輩の友人たちが50を迎えるたび、「昔の人なら死んでいた歳ですよ。この先は余生ですね」などと茶化したツケが回ってきました。

論語には「知命」とある。信長は「人間50年、下天のうちをくらぶれば……」と自らの定命を見据えていました。

確かに白髪は増えました。小水のキレもイマイチです。一方で、未だに何一つ成し遂げていない。成熟のかけらもありません。

50に向けたさまざまな企ての一つとして、目下の関心事をエッセイに連ねることを思いつきました。骨の折れる手間ではあるけれど、思考を練る習慣づけには良いでしょう。

一つのまとまりになったとき、今の私も知り得ない何かが結実しているとうれしいのですが。

2011年1月1日
原田浩光
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2011年02月08日

ひざまくら


耳かきサロン「ひざまくら」のビジネスプランを練ったのは、今から8年前、40のときである。世はストレス社会、癒やし商品、癒やしサービスには追い風が吹いていた。

私は人知れぬ耳かきマニア。旅の土産にはご当地の耳かきを買うことを常としている。子供の頃は母に耳垢を取ってもらっていた。ひざまくらで耳かき。男のロマンである。ノスタルジーである。

かなり本気でプランを練り、成功の手応えもあった。結局、支援者(私の友人)の了承が得られず、日の目を見ることはなかった。友人は、客の身体に触るリスクを危惧した。

「耳の垢とり商」は、江戸時代にさかのぼる。戦前までは、床屋のサービスとして広く親しまれていた。「不易流行」は我が社の社是であり、提唱するマーケティング手法である。ビジネス化する使命さえ感じていた。

どの家でもお母さんがしている耳かき。この世界観を総合的に捉え、さまざまな付加価値とともに、手技やツールなどをシステム化するものである。

スタッフは、実際に我が子に耳かきをしたことがある30~40代の女性。自然な母性が発揮されることこそ望ましい。採用の基準はかなり厳し目である。

待合スペースには耳かきの歴史やうんちくが展示され、グッズの売店もある。お気に入りの耳かきをキープすることもできる。夏には-5℃に冷やした銀製の耳かきで涼を取ってもらおう。

施術スペースは「和」の癒やしの空間。旧家の縁側のような風情で、い草やお香の香りが漂う。

耳のフォルムは母のお腹で眠る胎児の姿であり、すなわち全身を映す縮図である。耳つぼのマッサージ「耳リフレ」は、肩こりや不眠、肥満などの緩和にもなる。

「耳の穴をのぞかれる」「敏感な穴に棒を差し込まれる」というのは、いささかの気恥ずかしさや高ぶり、アバンチュールをともなう。こうして五感を駆使して、耳掃除を「耳エステ」へと昇華させ、お客さんに至福のひとときを提供する……。

当時、耳かきのサービスは、床屋やマッサージ店、風俗店のオプションが主で、専門店は数軒しかなかった。やがてフランチャイズのチェーン店ができたが(「みみくりん」)、長くは続かなかったようだ。

「ひざまくらみみかき」を謳った店ができたときは、さすがにのけ反った(「山本耳かき店」)。スタッフは浴衣姿のうら若き女性のようだ。大層繁盛しているようで、店舗数はみるみる増えていった。

ああ、私が始めていれば、今頃一財産稼いでいたかな。しかし一方で、先の浴衣の店では店員がストーカーまがいの客に刺殺されるという惨劇も起きた。友人の慧眼と言うべきだろう。

まだ見ぬ店の様子をシナリオにまとめたこともある。先日久しぶりに読み返したら、やはり無性に行ってみたくなった。
posted by hiro at 23:50| Comment(0) | エッセイ2 | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

腹六分目


2008年は減量に勤しむ思い出深い年になった。前年に競馬の友人らとの賭けに負け、罰ゲームとして課せられたのである。よーし、やってやろうじゃないの。

実は私にとってもうれしいきっかけだったのである。振り返れば、この20年で20kg太っていた。加齢に抗っても……と開き直っていた時期もあったが、献血の事前検査で(肝臓の値が悪く)断られたときはさすがに凹んだ。

さて、やり方をどうするか。

運動が嫌いな私は、食べる量を減らすよりない。つまりは「出」と「入り」の問題。シンプル・イズ・ベストである。

あまたの情報に振り回されない。お金は掛けない。とにかく万事楽しくやること。ダイエットは目的ではなく、明るく生きるための手段なのだから。

「腹六分目」と決めた。「腹八分に医者いらず」では減量は狙えない。腹六分を「今食べた同じ量をまだ食べられるところで止める」と定義した。

もう腹一杯食べないと「決めた」のである。この歳になって、たらふく食ってどうする。少しの量でも美味しさや満足は得られるではないか。

現代人は総じて食べ過ぎなのだ。美味しいものが巷にあふれ過ぎている。無意識、無自覚に手をつけていたら、到底消費が追いつかない。“You are what you eat.”(あなたはあなたが食べたものでできている)は至言なのである。

ほどなく、禁煙と似ていることに気がついた。たばこを止めたときと同じ感覚がよぎったのだ。私が禁煙したきっかけは、「いい歳して、煙吸ったり吐いたりしてどうする」というものだった。

確かに当初は食後や酒席で一服したくなる。だから今回も、たまのデザートやドカ食いにも目をつぶることにした。そうした「禁断症状」も、次第に回数が減り、やがてしたくなくなるだろうと考えたのである。

同じ頃、オタク評論家の岡田某が激ヤセし、誇らしげにズボンを余らせている写真が出回った。レコーディング・ダイエットの流行である。

私も毎日体重を測り、ダイエットサイトに書き込んだ。自分をがっかりさせる数字にはしたくないから、良い動機づけになったようだ。

サイトでは、十人十色のダイエットライフを垣間見ることになった。食事とその熱量を詳細に書き留める人。文才豊かにつぶやく人。壮絶とも思える私生活を赤裸々に綴る人。中には、文章や写真から漂う雰囲気に惹かれ、一度会ってみたくなるような人も。

ある人のプロフィール「痩せたらしたいこと--会いたい人に会いに行く」。ああ、この気持ちが分かるだけでも、私は太った甲斐があった。心からそう思った。
posted by hiro at 18:05| Comment(0) | エッセイ2 | 更新情報をチェックする

2011年03月16日

春疾風


強い風が吹いていた
春疾風(はるはやて)荒れ狂うようだった
その日君は突然旅立った
風にさらわれた気がした

朝僕らの布団で一緒に寝ていた
いつものように妹と遊んでいた
お気に入りのクッションに横たわり
気づいたときには息絶えていた

9年前君は我が家にやってきた
野良だった君を妻が見つけた
話し掛ける妻の膝に飛び乗った
一世一代の名演技だった

茶トラのハンサムボーイ
おっとりで内弁慶
好きなものは煮干しと日向ぼこ
嫌いなものは掃除機と掃除機

4才のとき尿道を患った
痛がる姿が見るに忍びなかった
やがて君に妹ができた
猫らしさと活力がよみがえった

白いお腹を何度撫でたことだろう
君は身をよじり喉を鳴らした
僕の心がほぐれていった
癒やされたのは僕の方だった

あの日に似た風が吹いている
もしや帰ってきたのだろうか
温もりや友情は今も共にある
愛猫デーデが昇天してもうすぐ1年が経つ
posted by hiro at 23:00| Comment(0) | エッセイ2 | 更新情報をチェックする